ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

網倉勇太さん(牧丘地域へ移住)

ページID:0007387 更新日:2024年3月5日更新 印刷用ページを表示する

移住して17年。ぶどう農家として精進を重ねるかたわら、
地域活動にも参加していたら、集落で認められる存在になっていました。

(1)プロローグ

C.W.ニコルに憧れて田舎暮らしを始めた網倉勇太さん。山梨市に移住して17年目を迎えています。ぶどう農家として生計を立てながら地域活動にも尽力している網倉さんを牧丘地区のご自宅に訪ね、山梨市での暮らしや地域に溶け込むコツなどをお聞きしました。

(2)山梨市に移住しようと思ったきっかけや選んだ理由は?

きっかけは、この家との出会い

網倉さん自宅長野に移住したものの、違和感を抱きながら横浜と行き来しているうち、ふと、山梨で暮らすのもいいかなと思ったんですよね。それで、県の移住窓口に相談したところ果樹栽培を勧められたので、それなら一度ちゃんと学んだ方がいいだろうと思って、ひとまず山梨県立農業大学校の訓練コースを受講することに。就農に向けて情報収集していると、「牧丘の巨峰」「牧丘は別格」といった声がちょくちょく聞こえてくるので、牧丘がいいのかと思っていたところ、受講仲間が「空き家バンクに出ていたよ」と教えてくれたのがこの家でした。見に来たらお化け屋敷のようでしたが、家賃がすごく安かったので即決。セルフリノベーションしながら、山梨市で暮らし始めました。

(3)山梨市では、どんな暮らしをしていますか?

自分の名前で出す以上、見栄えも味も良いものを送りたい。
その思いが、ぶどう栽培のレベルを上げる原動力に

網倉さん夫妻メインはぶどう農家です。以前は拡大方向でしたが、数年前に妻が倒れてから最悪一人でも回せる範囲でやっていこうと方向転換して、今は4.5反の畑で巨峰とシャインマスカットを作り、インターネットで販売しています。自分の名前で出す以上プライドがあり、見栄えも味も良いものを送りたい。その思いが、ぶどう栽培のレベルを上げる原動力になっていて、最初は親戚や知人から始まった宅配も、今では、北海道から沖縄までほぼ全国へ送れるようになりました。自分が作ったぶどうを「おいしい」と言ってもらえるのは嬉しいし、励みにもなりますね。一方で、農業にはリスクがあり、時間の自由が効くから兼業しやすいこともあって、農閑期には他の仕事もしています。

(4)実際に住んでみて感じる山梨市の魅力は?

地域の活動に参加し、信頼を得て
人脈を広げるなかで、暮らしやすさも倍増する

引っ越してすぐ挨拶回りをし、自治会に入会。消防団にも入団して…とやっているうちに自然と地域に馴染み、最近、区長までやらせてもらいました。特に消防は、他集落にも人脈が広がり、何かあったら助けてくれる先輩や仲間もできたので、入ってよかったと思います。

山賊

地域おこし活動をしているNPOのメンバーにもなりました。ファミリー向けの農業体験や田舎暮らし体験を絡めた婚活イベントなど、いろんな活動を通して同年代の仲間や移住者仲間との絆ができて、ここでの暮らしがますます楽しくなりました。

田舎では、都会以上に人とのつながりが大事です。山梨市は基本的に人が良く、こちらから歩み寄れば大抵受け入れてくれるので、消防であれ、地域の活動であれ、できるだけ参加して信頼を得ることが暮らしやすさにもつながるように思います。

(5)プロフィール

網倉勇太さん​網倉勇太(あみくら ゆうた)さん (40代)

横浜で育ち、長野での短い田舎暮らしを経て山梨へ。山梨県立農業大学校で果樹栽培を学んだ後、2017年に山梨市に移住。