江戸中期の頃、焼山峠の麓でごん鉢など生活用具を作る木地師がいた。
この夫婦が仕事をしていると峠付近で子供の泣く声が聞こえたのでそこへ行って見ると子供の様な石地蔵らしきものがあった。
夫婦は子供がいなかったので不思議に思い、石地蔵を人目につかぬようこっそりと自宅に持ち帰り、何日もお水や果物をささげ、朝な夕なにお参りをしていた。すると、不思議なことにその夫婦に子供が授かり、お礼に石地蔵を一体添えてお返ししたのが、子授け地蔵様のいわれとなり、口伝えに広がったもので、現在も新しいお地蔵様が数多く見られ、最近でも恩恵にあずかった県内外のご夫婦が多いといわれている。