むかし、ここ芹沢の里にたいへん親孝行の権三郎という少年が母親と住んでいました。
京より父を捜しにこの地まで来ましたが、すでに父は亡く、村人とともに暮らしていました。
人々は笛の上手なこの少年を「笛吹権三郎」と呼んでいました。
ある年の7月、大洪水に遭い、母子とも濁流にのみ込まれてしまい、幸い権三郎は自力で岸に上がり難を逃れましたが、母は流されて行方不明となってしまいました。
母の好きだった篠笛を吹きながら、川を上り下りして捜しましたが見つからず、いつしか権三郎も疲れ果て川に落ち、下流の小松村まで流され、近くの長慶寺に手厚く葬られました。
その後、川の音が権三郎の吹く笛の音のように聞こえることから、誰とはなしに笛吹川というようになりました。
ここより上流を子酉川、下流を笛吹川と呼んでおります。
今でもこの地域の人は、権三郎がつけていた不動明王を笛吹不動尊として供養を続けています。