【市指定史跡】武田信昌の墓
- 指定年月日
昭和54年3月3日 - 所在地
山梨市矢坪1088番地 - 管理者
永昌院
解説
武田信昌は、文安4年(1447)甲斐の守護職信守の子として生まれ、父の跡を継いだ後、永正2年(1505)9月16日59歳で没してここに葬られました。
五輪搭と宝篋印塔をセットで造る例は、16世紀以降甲斐国でもみられるようになります。
五輪塔には四門の梵字を各輪にきざみ、最下段の地輪正面に、「前刑部大輔云々」、裏面に「永正二年九月十六日」と彫られています。供養のための宝篋印塔には、基礎の正面に「奉為永昌院殿傑山勝公大禅定門神儀立焉永正二年九月十六日」とあります。2基とも当初のままで、この時代の塔の様式を知る上からも貴重です。